第一次大戦後にセルビア王国は
スロベニア、
クロアチア、
ボスニア・ヘルツェゴビナをオーストリアから奪取し南スラブ人による共同国家
ユーゴスラビア王国の建設をめざす。民族問題に頭を悩ませたユーゴ政府はセルビア独裁体制を建設してこれに対応しようとしたためクロアチア人との対立が深まり第二次大戦中ユーゴはクロアチアに独立を許すこととなる。大戦後もユーゴスラビアの構成員としてクロアチア人、スロベニア人、
ボシュニャク人、
マケドニア人と協調を図ってきたが
1980年指導者
チトーを失ってからはクロアチア人と再び対立を深めた。また、
コソボでは
アルバニア人とセルビア人との関係が険悪となり、15年近くにわたり両者が激しく睨み合うこととなった。
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)