国名
セルビア語では「
Република Србија / Republika Srbija」(レプブリカ・スルビヤ)、通称「
Србијa / Srbija」(スルビヤ)。日本語では「
セルビア共和国」、通称「
セルビア」。英語においては「Republic of Serbia」、通称「Serbia」(サービア)である。
歴史
戦間期
第二次世界大戦
第二次世界大戦では
ナチス・ドイツに
侵攻され、王国政府はロンドンに逃れて
亡命政権を樹立した。ドイツ軍は傀儡政権である
セルビア救国政府を置く一方、セルビアでの事実上の支配権を握った。ユーゴスラビア王国軍で主流であったセルビア人将校を中心として
チェトニックを組織し、ドイツ軍に対抗した。しかし、ドイツ軍政当局は、ドイツ軍の死者1人につきセルビア人市民100人、ドイツ軍の負傷者1人につきセルビア人市民50人を殺害する規定を導入し、セルビア人市民を虐殺した。チェトニックたちの多くはドイツ軍への抵抗をあきらめ、次第に軍政当局に協力する立場へと転じていった。
代わってドイツに対しての
抵抗運動を展開したのは、
ヨシップ・ブロズ・ティトー率いる
パルチザンである。チェトニックはドイツ軍への抵抗をしない代わりに、
クロアチア独立国でセルビア人が
ジェノサイドの対象となっていることへの報復として
クロアチア人や
ボシュニャク人に対する大量虐殺を始めた。これに対して、パルチザンは多民族混成の抵抗運動であり、市民への虐殺をせず、ドイツ軍に対して粘り強く抵抗した。一時はウジツェに解放区を作るなど目覚しい戦果を挙げ、やがて多くの市民がパルチザンに加わっていった。パルチザンは、ソ連軍が侵攻してくる前に、自力でユーゴスラビアから枢軸勢力を駆逐した。
社会主義時代
ユーゴスラビアを自力で解放することに成功したチトーは、
王の帰国とロンドンの亡命政権を否定し、独自にユーゴスラビアの再建を始めた。戦後の政権党となったユーゴスラビア共産党(その後1952年に
ユーゴスラビア共産主義者同盟に改称)は、次第に共産主義の盟友であった
ソビエト連邦との路線対立が拡大し、1948年には
コミンフォルムを追放された。それ以降、セルビアを含むユーゴスラビア連邦は、ソビエト連邦の支配からはずれ、他の
東側諸国とは一線を画するようになる。ユーゴスラビアは
西側諸国との良好な関係を築き、
マーシャル・プランを受け入れる姿勢を取り、ソ連と対立してた。1953年にティトーがユーゴスラビアの大統領となり、ソ連と一線を画した社会主義政策を展開した(
自主管理社会主義)。また、
非同盟運動を推進し、
第三世界の主要国としての地位を確立した。
ユーゴスラビア連邦共和国時代
ユーゴスラビア崩壊以降の経済的苦境や、各種の紛争での敗北により、セルビアで強権を握っていたスロボダン・ミロシェヴィッチに対する不満が高まり、ミロシェヴィッチは
2000年に失脚した(ブルドーザー革命)。
セルビアとともにユーゴスラビア連邦を構成していたモンテネグロでも
1997年ごろからミロ・ジュカノヴィッチを中心に独立要求が強まったため、EUの仲介により
2003年にはユーゴスラビア連邦は。より緩やかな国家連合である
セルビア・モンテネグロに移行した。人口比で大幅にセルビアを下回るモンテネグロの政治的権限を大幅に拡大し、3年後の
2006年以降再びモンテネグロの独立を問う事が出来る事を条件にして緩やかな連合国家
セルビア・モンテネグロに変更された。
独立以降
2008年2月17日にはセルビアの自治州でありながらセルビアの主権が及んでいない(
その地位があいまいであった)コソボが独立を宣言した。セルビアはコソボを自国の不可分の領土であるとして、コソボの独立を認めていない。セルビアの同意のないまま、国際的監視下にあるコソボが一方的に独立することに対する国際法上の懸念などにより、コソボの独立に明確に反対の意思を表明する国も多く、コソボの独立を承認している国連加盟国は
2008年末の時点では50箇国程度に留まっている。
政治
セルビアは
共和制、
議院内閣制を採用する立憲国家である。現行
憲法は
2006年11月に発布されたものである。事実上、セルビアから分離状態にある
コソボは2008年2月に独立を宣言し、一部の国々と独自の外交関係を持っているものの、セルビア共和国憲法ではコソボを「セルビアの不可分の地方」としている。
大統領
国家元首である
大統領は国民の直接選挙で選出され、任期は5年。3選禁止。元首としてセルビア共和国を代表し、形式的に国軍の最高司令官を務め、
国民議会の解散や非常事態発令を行なう。また、国民議会が可決した法案を差し戻し、再審議させる権利もあるが、国民議会が再度法案を可決した場合は、大統領の認可がなくとも法律として制定される。
行政府
実際の政治は
行政府たる
内閣が率いる。国民議会により選出された
首相が組閣を行なうが、国民議会による承認が必要。
立法府
立法府は
一院制の国民議会で、定数250議席。議員は国民の直接選挙で選出され、任期は4年。
政党
複数政党制が機能している。主な
政党には
民族主義を掲げるセルビア急進党(SRS)、セルビア急進党から分離したより穏健な民族派のセルビア進歩党(SNS)、中道右派のセルビア民主党(DSS)、親欧州だがコソボ独立反対の中道左派民主党(DS)、中道右派のG17プラス、親欧州でコソボ独立も容認する自由民主党(LDP)(民主党から分裂)、
スロボダン・ミロシェヴィッチ政権下の与党であったセルビア社会党(SPS)などが存在する。
ミロシェヴィッチ政権の崩壊後、民主党とセルビア民主党を中心として政権が維持されてきたが、コソボ独立問題などで両党の対立が深刻化した。
2008年5月の総選挙の後、民主党やG17プラスなどに、かつての仇敵であったセルビア社会党を加えた連立政権が発足した。セルビア社会党が政権の座につくのは、2000年のミロシェヴィッチ政権崩壊以来のことであった。
司法府
最高司法機関は憲法裁判所。
地方行政区分
セルビア共和国は31の郡(オクルグ
Округ /
Okrug)と
ベオグラードからなる(
コソボの7つの郡を含む)。また、北部の7つの郡は
ヴォイヴォディナ自治州に属している。南部の7つの郡が属するコソボは1999年以降は国連によってセルビアの影響力がほぼ排除され、2008年には独立を宣言したが、セルビア政府はこの独立を認めておらず、コソボは自国領との立場をとっている。
それぞれの郡は幾つかの基礎自治体(オプシュティナ
Општина /
Opština)に分けられ、これが最小の行政単位である。
地理・住民
北部の
ヴォイヴォディナは第一次大戦後に
オーストリア・ハンガリー帝国からセルビア王国が獲得した領土であり
ハンガリー系や
スロバキア系などセルビア系以外の住民が多い(特に北端の3自治体ではハンガリー人が多数派となっている)。また、モンテネグロ国境近くには、イスラム教徒(
ボシュニャク人)が多数派を占める
サンジャクがあるが、ヴォイヴォディナ等とは異なりひとつの行政区にまとめられたり自治権を持ったりはしていない。セルビアが自国領と主張している
コソボではアルバニア人の方が多数である。
クロアチアや
ボスニア・ヘルツェゴビナとの国境では、クロアチアやボスニアの方に
セルビア人が多く住んでいたが、クロアチア国内に居住していたセルビア人は
1991年から1995年に展開された
クロアチア紛争で難民となり、その多くがセルビアに流入した。ミロシェヴィッチ政権はその一部をセルビア領のコソボに移住させ、コソボでの人口バランスの変化を狙った。コソボのアルバニア人は多産社会で、セルビア人よりも出産率が高いため、コソボのアルバニア人比率は40年ほどの間に劇的に増大していた。
経済
セルビア及びヴォイヴォディナでは
セルビア・ディナールが流通している。コソボではコソボ紛争以降セルビアの統治権は排除され、
ドイツマルクが流通していた。2002年にドイツマルクの流通が停止されユーロに切り替わってからは、
ユーロが流通している。
鉱業
モンテネグロを含むセルビアの鉱業を特徴付けるのは豊富な有機鉱物資源である。品質は低いが燃料に向く
褐炭を大量に産出する。2002年時点の採掘量は、世界シェアの3.8%に達する3450万トン(世界第10位)である。このため、輸入に占める燃料の割合は数%以下であり、総発電量に占める火力発電の比率が64.5%と高い。つまり、エネルギー自給に関してはセルビアには問題が少ない。
品位の高い
石炭の採掘量は10万トン、
原油は88万トン、
天然ガスは28千兆ジュールである。無機鉱物資源は種類が多いものの、採掘量は少ない。
亜鉛、
金、
銀、
銅、
鉛、
アルミニウムの原料となる
ボーキサイト、
マグネシウムを産出する。
火力発電に加え、
水力発電(総発電量の36.5%)にも適した地形であるため、セルビアは電力に恵まれている。その結果、輸出に占めるアルミニウムの割合は8.4%に達し、最大の輸出品目となっている。
国民
前回の国勢調査は、ユーゴスラビア紛争直前の
1991年であったが、一連のユーゴスラビア紛争の結果旧ユーゴスラビア構成諸国家での民族構成の大きな変化が統計的に明らかになった。セルビアでは、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボなどからの大量のセルビア人難民が流入したためセルビア国内でセルビア人が占める割合が増大した。一方で、ヴォイヴォディナ地方を中心に住んでいたクロアチア人が大量にセルビアを脱出した。また、ユーゴスラビア解体の動きと連動して自らのエスニック・グループが「ユーゴスラビア人」であると主張する人の割合は少なくなってきている。
セルビア人の言語は
セルビア語、クロアチア人は
クロアチア語、ボシュニャク人は
ボスニア語であるが、この3つの言語に大きな差異はなく、かつてはひとまとめに
セルビア・クロアチア語とされていた。同じ地域に住み、同じ方言を話していても、セルビア人の話す言語はセルビア語、クロアチア人の話す言語はクロアチア語とみなされる。
文化
祝祭日
出身者
関連項目
外部リンク
- 政府
- 日本政府
- 観光
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