その自由な表現形式は黒人音楽家のみならず白人音楽家にも注目され、技法や理論など急速に発展した。20世紀半ばには
人種の枠を越えた音楽のジャンルとして認識され、
現代音楽理論をも内包する高度な体系をつくりあげた。その結果、人種、国籍や狭義のジャンルを越えた音楽芸術の現代的様式の一つとなり、様々な方向性に発展を見せる現代の音楽の源流を形作った存在であると考えられている。
歴史
起源 - 1930年代
ニューオーリンズが発祥の地
斎藤真 他(監修)『アメリカを知る事典』(
平凡社、1986年)pp. 210-217とされており、この地区での当時の
スラングで、
女性性器や性行為をjass、売春宿をJass Houseと呼んでいて、売春宿の待合室や
酒場を主な活動場所にしていた演奏家たちのことをJASS BANDと呼んだことが、JAZZの語源となったという説もあるが、「JAZZはシカゴで成立した語」「
フランス語のjaser(「くだらない話」の意味とも、アフリカ系アメリカ人に対する軽蔑を意味したとも言われる)から」内藤遊人『はじめてのジャズ』(
講談社、1987年)pp.57-58などと、現在でもその
語源ははっきりしない。20世紀に入ると、
コルネット奏者の
バディ・ボールデンがニューオーリンズで人気を博し、今日では「初代ジャズ王」と呼ばれているが、バディは1907年に活動停止し、本人による録音は残されていない岩浪洋三『これがジャズ史だ〜その嘘と真実〜』(朔北社、2008年)pp.65-68、291-292。
初期のジャズは、
マーチングバンドと20世紀初頭に流行した
ダンス音楽に影響を受けており、ブラス(
金管楽器)・リード(
木管楽器)・
ドラムスによる組み合わせの形態はこれらの影響に基づくものといえよう。当初は独学でジャズを創作していった者も少なくなかったが、ジャズと
音楽理論が融合するようになっていったのは、ジャズが黒人社会に広く普及し、古典的なヨーロッパの音楽理論を取得したアフリカ系黒人ミュージシャンがジャズに反映させていく時点からである。アメリカの
禁酒法時代に地下化した酒場に集うミュージシャンによって、あるいは
レコードや
ラジオの普及によって、ダンスミュージックなどのポピュラー音楽のスタイルがまだまだ渾然一体となっていた1920年代初頭にはアメリカを代表する音楽スタイルの一つとして、アメリカ国内の大都市に急速に広まった。第一次世界大戦から大恐慌までのアメリカの隆盛期が「ジャズ・エイジ」と呼ばれるのはこのためである。1920年代にはイギリスでもジャズが流行り、後の
エドワード8世も少年時代にレコードを収集するなど、幅広い層に受け入れられた。
1930年代には、ソロ演奏がそれまで以上に重要視されるようになり、ソロを際だたせる手法の一つとして小編成バンドが規模拡大して
ビッグ・バンドスタイルによる
スウィング・ジャズが確立されるようになり、人気を博す。この背景には、人種的障壁で隔てられていた黒人ミュージシャンと白人ミュージシャンの媒介としての役割を果たした
クレオールの存在があった。スウィング・ジャズは
アレンジャーとバンドリーダーの立場がより重要視されるようになり、特に代表的なバンドリーダーの一人である
ルイ・アームストロングの存在は、ジャズとヴォーカルとの融合という側面(アームストロングはトランペット奏者でありながら自ら歌も歌った)において重要な役割を果たした。
1940年代以降
その一方で、ソロを際だたせる別の手法として、アレンジを追求したスウィング・ジャズとは異なる方向性を求める(あるいはスウィング・ジャズに反発する)ミュージシャンにより、
即興演奏を主体とした
ビバップ等の新たなスタイルが模索されるようになる。1940年代初頭には、ビバップに傾倒するミュージシャンも増えていくが、1942年8月から1943年秋にかけて、アメリカで大規模なレコーディング・
ストライキがあったため、初期ビバップの録音はわずかしか残されていない。1940年代後半には、
チャーリー・パーカーや
ディジー・ガレスピー等が多くの録音を残し、1950年代には、
クール・ジャズ、
ウエストコースト・ジャズ、
ハード・バップ等の新たなスタイルが登場し、
モダン・ジャズの流れを作り出すことになる。
日本における歴史
1923年(大正12年)4月に日本で初めてのプロのジャズバンドが
神戸で旗揚げした。
宝塚少女歌劇団オーケストラ出身の井田一郎をリーダーとするラッフィング・スター・ジャズバンド(ラッフィング・スターズ)である。その後
1925年(大正14年)に井田は
大阪でチェリーランド・ダンス・オーケストラを結成し活動するが、
大正天皇崩御を理由に大阪市がダンスホールの営業を1年間停止したため、大阪を拠点としていた井田や
南里文雄ら多くのプロのジャズマンは
東京に拠点を移していった。戦前に発売された国産ジャズレコードの中には著しくレベルの低いものも多数見受けられるが、それでも着実にファンを増やしていった。歌手としては
二村定一、
淡谷のり子、
バートン・クレーン、
ディック・ミネ、川畑文子、
中野忠晴、ベティ・稲田らが、ボーカルグループではコロムビア・ナカノ・リズムボーイズやアメリカの
ボードヴィルの影響を受けたあきれたボーイズがそれぞれ人気を集め、作曲家としては
服部良一がジャズの要素を用いた数多くの名曲を生んだ。
太平洋戦争中は禁令 や自主規制などでジャズは鳴りを潜めたが、学生や軍人の中でも密かにレコードを聴いて楽しむ者も多かった。
特攻隊員の川柳に「アメリカと戦ふ奴がジャズを聞き」「ジャズ恋し早く平和が来ればよい」などと遺されていることからも分かる。戦後多くの元陸海軍
軍楽隊員がジャズ畑へ転向した。
1969年には、
山下洋輔のメジャー・デビューや、フリー・ジャズ専門スポット「新宿ニュージャズ・ホール」副島輝人『現代ジャズの潮流』(
丸善、1994年)pp.40-41の開店(1971年閉店)等により、日本でもフリー・ジャズが盛んになる。1970年代になると、国鉄(現
JR)
中央線沿線(
西荻窪・
吉祥寺・
八王子など)を拠点とするミュージシャンも多く登場し、1980年代後半、
新星堂の
プロデューサーが「中央線ジャズ」という言葉を提唱。
日本で最初のジャズの祭典「
神戸ジャズストリート」は、ラッフィング・スターズ結成60年の記念の年となる
1982年(昭和57年)から行われてるものである。
主なスタイル/ジャンル
いずれも活発に演奏され、かつ発展している生きたスタイルである。
- 何がニューオーリンズ・ジャズであり、何がディキシーランド・ジャズであるかという明確な合意はないが、初期の様に黒人によって演奏されるのがニューオーリンズジャズ、白人によって演奏されるのをディキシーランドジャズと区別するのが一般的である。
代表的なアーティスト
著名なジャズクラブ等
ジャズ喫茶
ジャズを聴きながら楽しむ
喫茶店。日本で1950年代後半に流行り、1970年代から下火となる。
著名なジャズ・フェスティバル
三大ジャズ・フェスティバル
日本
野外(有料)
屋内ホール・クラブ(有料)
屋内ホール・クラブ(無料)
屋内クラブ(有料)・屋外街中(無料)
屋外街中(無料)
北アメリカ
ヨーロッパ
著名なジャズ学園
ジャズに関するその他の作品・関連メディア
TV・ラジオ番組
現在放送中
- 音楽番組
終了番組
ジャズ専門放送
ジャズライブやレアレコード音源も放送している。
ジャズ専門ネットラジオ局(無償配信)
映画
- アーティスト伝記物、もしくはストーリー・音楽ともにジャズと関わりの深い作品
洋画
- 伝記物
- 記録映画
- フィクション
邦画
- 伝記物
- フィクション
その他
- ジャズをモチーフとした小説を多く発表している作家
-
川柳川柳 - ジャズを取り入れた新作落語「ジャズ息子」「ガーコン」を作る
参考文献
関連項目
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