概説
1869年3月11日、
博物学に長けた
フランス人宣教師のアルマン・ダヴィドが(現在の)四川省西部宝興県にて地元の猟師が持っていた白黒模様のパンダの毛皮を
欧米人として初めて発見した。後日、
パリの
国立自然史博物館に
毛皮と
骨などを送った。これがきっかけとなり、ジャイアントパンダの存在が広く知られるようになった。
名称
別名
シロクログマ(白黒熊)、
イロワケグマ(色分熊)。
中国では
熊猫(
繁体字:
熊貓、)または
大熊猫(繁体字:
大熊貓、)と呼ばれる。
日本では単に
パンダと呼ぶ場合、
レッサーパンダではなくこのジャイアントパンダを指すことが多いが、先に発見されたのはレッサーパンダの方である<ref>レッサーパンダは、イギリス人の冒険家によって発見された。</ref>。パンダという呼び名は、
ネパール語で「竹を食べるもの」を意味する<ref>
パンダ【panda】 Yahoo!辞書(情報元:
大辞泉)</ref>「ポンガ」に由来する、等諸説ある。学名は、ギリシャ語の白黒に由来する。中国語で単に「<span lang="zh-cn">熊猫</span>」または「<span lang="zh-tw">熊貓</span>」という場合も同様である。猫にあまり似ていないジャイアントパンダであるが、それを指す中国語に猫という字が入るのも、元はこの名がレッサーパンダを指していた名残である<ref>中国の山奥では、竹を食べる等、生態が似ているためレッサーパンダが大きくなるとジャイアントパンダになると信じられていた地域もある。</ref>。レッサーパンダは小熊猫と中国では呼ばれるが、ジャイアントパンダの子供いわば子パンダも小熊猫と呼ぶこともあり、混同を招くケースもある。
分類
亜種の発見
2006年、四川省のジャイアントパンダと秦嶺(陝西省)のジャイアントパンダはそれぞれ独立した亜種であることが確認された。過去には茶色い毛並みのパンダが陝西省に存在していた。
身体的特徴
全長は120から150センチメートルで、立ち上がると170センチメートルになる。オスの体重は約100から150キログラム、メスは約80から120キログラムである。生まれた子どもの体重は通常100から200グラムと大人の約1000分の1しかない。目の周り、耳、四肢、背中の両肩の間の毛が黒く、他の部分は白色(クリーム色)である。この模様や色使いは「単独行動が維持できるように近過ぎる距離での出会いを回避するのに役立っている」「周りの景色に溶け込んで外敵の目から逃れるためのカモフラージュの役割を果たしていた」等と考えられている。尾の長さは約13から20センチメートルであるが、尾はほとんど成長しないため、大人のパンダでは目立たない。パンダのぬいぐるみ・人形・キャラクターグッズの中には、尾を黒く塗った商品を見受ける事があるが、汚れ等による誤解に基づいて色付けされており、パンダの尾の色は正しくは白色(クリーム色)である。
生まれた直後は毛が一切生えておらず、薄いピンク色をしている。生後約1週間から十日程で毛根の色が透けるため白黒模様が見え始める。生後1か月ほどたつと親と同じような模様の毛が生え揃う。パンダの毛は軟らかそうなイメージがあるが、軟らかいのは生後約1年ぐらいまでであり、大人のパンダの毛は豚毛ブラシに近く比較的硬い。毛皮は、堅くて脂ぎっている。
第一中手骨(親指)側にある撓側種子骨と第五中手骨(小指)側にある副手根骨に指状の突起があり、その突起を利用して物を掴むことができる。撓側種子骨は人間の親指のように見えることから「偽の親指」や「第六の指」と呼ばれている。
目の周りの模様がたれ目のような形をしているが、実際の目は小さく上がり気味で鋭い目付きである。
視力はあまりよくないと考えられていたが、2000年代に研究によって
灰色と様々な色合いを区別できる事が確認された。
消化器官や歯の構造は
クマや
アザラシ等、他の
肉食動物と大変似ている。犬歯は大きく、奥歯も大きく平らな臼歯で人間のおよそ7倍の大きさ。腸や盲腸は草食としては短い構造が
デメリットとなり、セルロースを多く含む竹などの食物を食べた場合、栄養摂取の効率が低く、それを量で補うためパンダは1日の大半を竹を食べることに費やしている。
生態
を食べる様子]]
現在は竹林に住まい、
竹を主食にしているが、極稀に小型
哺乳類・
魚・
昆虫等の小動物やそれらの死骸、
果物を食べることもあり、他のクマ類と同様に
肉食を含む
雑食性の特徴も微少であるが残っている。昔は動物園でも肉を与えていたケースもある。氷河期による気候の変動による食糧不足から偏食を余儀なくされ、常に入手しやすい竹ばかり食べるようになったと考えられている。
群れや家族を形成せず、基本的に単独で行動している。他のクマ科の動物と異なり、
冬眠はしない。繁殖期は年に一度、3月から5月の間であり、マーキングが行われることもある。メスの受胎が可能な期間は数日ほど。妊娠期間は3か月から6か月で、通常1頭または2頭の子どもを出産する。繁殖力は低い部類に入り、乱獲と並んでパンダの絶滅危機の原因でもある。近年の研究によって、発情期以外でも声と匂い付けによって他のパンダと頻繁にコミュニケーションをとり、しばしば交流することが判明している。
愛らしい外見に似合わず、気性の荒い一面も持ち、動物園の飼育員や見学客などが襲われる事件が過去には何件か発生している。
生息地と保護
2004年に発表された調査では、現在、中国・四川省北部の
岷山山地、陝西省南部の
秦嶺山脈、
甘粛省南部などに約1,600頭が生息している。中国では40か所のパンダ保護区を設けてジャイアントパンダを保護しており、最大のものは四川省北部のアーベイ(
阿?)州にある臥竜自然保護区(約2,000平方キロメートル)である。また、
国家一級重点保護野生動物にも指定されている。
臥竜自然保護区内には1983年に臥龍パンダ保護研究センターが建設され、パンダの飼育・研究が行われまた大いに観光客を呼び込んでいたが、2008年の
四川大地震により壊滅し、飼育されていたパンダはちりぢりに各地の動物園に移された。廃墟となった臥竜のセンターは放棄され、近隣の耿達郷にセンターを再建する計画がある。臥竜自然保護区の野生パンダの生息環境も破壊が激しく、多くの野生パンダが死滅するだろうという予測がある。そのため、野生パンダを広州のサファリパークに移送する案も出ているが実現に至っていない。
中国では、パンダの密猟は重罪とされている。過去には
死刑が最高刑であったが、1997年以降法律が改正され現在は20年の懲役刑が最高刑となっている。
死刑が最高刑だった時代に、実際に処刑(主に銃殺刑)が行われたこともある。密猟はパンダを食料にしたり、高値で取引される毛皮を手に入れるために行われる事が多く、主な原因としては、中国における自然保護の管理システムの問題と、パンダの生息地における住民の経済的基盤の問題が挙げられている。
中国では生息地域だった土地の開発が進むにつれて、パンダが孤立する傾向にあり、繁殖期になっても交尾の相手が見つからないといった事態が起きている。また、パンダの食物である竹は約60年から120年に1度、一斉に開花して枯れてしまうため、一種類しか笹が生えていない地域の場合この時期に食料にありつけず餓死してしまうことがある。以前であれば竹枯死の発生していない他の地域に、パンダ自身が移動することによってその事態を回避する事も出来たが、20世紀後半以降は道路建設や森林伐採、住宅や農地の開発などによって人間が生息地を分断したことによってパンダの移動が出来なくなった地域もあり、竹枯死の影響が大きくなるとみられる。そのような不具合を改善するために、生息地域付近の開発制限、保護区の拡大、他地域のパンダ同士が相互に交流出来るように「緑の回廊(コリドー)」を造る計画を進めている。
ワシントン条約の附属書I(絶滅のおそれのある種で取引による影響を受けており、または受けることがあるもの)に掲載され、取引が厳しく制限されている。
2006年、生育センターなどで飼育中のパンダは計217頭。野生では約1590頭のパンダが生育している。この数は80年代末より約40パーセント増えている。
日本国内でジャイアントパンダを見られる場所
- 梅梅(2008年10月15日死亡)は来日前に中国で双子の姉妹(奇縁:メス、奇珍:メス)を出産した経験があり、第3子である良浜を妊娠した状態で来日した。
- 良浜の母は梅梅であるが、父は中国にいる哈藍(哈蘭とも書く:2006年成都動物園にて死去)であり、永明と良浜の間に血縁関係はない。
- 幸浜、愛浜、明浜(及び成都にいる雄浜、隆浜、秋浜)は永明と梅梅の間の子供である。
- 永明は梅梅の双子の姉(蜀蘭)との間に、人工授精により2002年に中国で生まれた子供(蘭宝:オス)がいる。
-
東京都恩賜上野動物園(東京都台東区)で飼育されていた陵陵(リンリン)が2008年4月30日に死亡したため、日本が所有権を持つパンダはいなくなった。上記のパンダはすべて中国から借り入れている。なお、陵陵は血縁上、永明の伯父にあたる。
- 2008年9月13日に良浜がメスとオスの双子(梅浜:メス、永浜:オス。2008年11月13日命名)を出産した。この子供たちは日本初の3世目のパンダである。なお、父親は永明である。
在日パンダ
その他
- パンダ外交
-
中国政府は各国との関係発展のために相手国にパンダを贈呈する、いわゆる「パンダ外交」を展開してきた。これが転じて、アメリカなどでは親中派が「パンダ・ハガー(パンダを抱く人)」という蔑称で呼ばれることがある。
- 日本においては、1970年代にパンダの大ファンである黒柳徹子が紹介し、その後日中国交正常化により上野動物園に中国から2頭贈られたため、日本中にパンダ・ブームが起こった。
- また2005年に台湾(中華民国)の比較的親中的な野党である中国国民党および親民党代表団が中国大陸を訪問した際に中国共産党側から台湾にパンダを贈る約束を取りつけた。これに対して民主進歩党出身の陳水扁政権は、ワシントン条約に基づき、中国政府が輸出許可書を発行することを求めた。これは「パンダ外交」による国民の反中心情の緩和を警戒したものである。しかし、中国政府は国内移動として、これを拒否した。そのため、台湾政府はパンダの輸入を許可していない。
- 現在ではワシントン条約とその加盟国が独自に条約運用のために定めた法の影響で学術研究目的以外での取引は難しいため<ref name="national">特集:パンダ貸します ナショナルジオグラフィック日本版 2006年7月号</ref>、外交としてパンダが贈られることはなくすべて「中国籍」でレンタルとなっている<ref name="national"/><ref name="toku">とくダネ!:中国「パンダ外交」に踊る日本 J-CAST 2008年4月30日</ref><ref name="chugoku">パンダを借りる日本とパンダに会えない中国の子供 中国情報局 2006年10月7日</ref><ref name="ex">なぜパンダはみんな帰ってしまうのですか エキサイトニュース 2005年10月4日</ref>。過去に贈られたパンダはその当事国の国籍を持っているがそのパンダは数少なく、生まれた子供もたとえ片方が中国籍でなくても「中国籍」となり、課金対象になってしまう<ref name="chugoku"/><ref name="ex"/>。また、そのレンタル料も高額であり、つがい一組で年間1億円程度となるが、その資金はパンダの研究費や生息地保護資金に充てられている<ref name="wwf"/><ref name="national"/><ref name="ex"/>。このような事情から、資金難からパンダを返還した国もあり<ref name="chugoku"/><ref>韓国は資金難から1999年にパンダを返還している。</ref>、パンダはもはや外交ではなく、ビジネスだともいわれている<ref name="national"/><ref name="toku"/><ref name="chugoku"/>。<!--「パンダとチベット」に関する内容の文章を記載したい方は、必ず出典を添えた上でお願いします(過去数回程度、編集合戦気味の行為が行われているため)。-->
- 客寄せパンダ
- 日本ではパンダの人気は高く、パンダのいる日本の動物園ではパンダ目当ての来園客が非常に多い。そのため、興行などで集客力のある人気者を指す客寄せパンダという言葉が生まれた。また、1981年6月の田中角栄による東京都議選応援演説における「人寄せパンダ」『昭和語―60年世相史』
榊原昭二、朝日新聞社 1986年 ISBN 978-4022603708『'80年代 世相語ガイド 下』榊原昭二、朝日新聞出版 1983年 ISBN 9784022680167『昭和世相流行語辞典』鷹橋信夫、旺文社 1986年 ISBN 978-4010707531
ガンジーさん。「244.安物の言葉。」 ほぼ日刊イトイ新聞 2001年4月26日発言の「人寄せ」部分が変化した という説もある。
脚注
関連項目
外部リンク