ゴールデングラブ賞( - しょう)は、
日本プロ野球の
選手表彰の一つ。正式名称は「
三井ゴールデン・グラブ賞」(みつい - )。
概要
守備力に卓越した選手が表彰されるもので、プロ野球記者
投票(記者経験5年以上が要件)によって、ポジションごとに、
セ・
パ各リーグで原則9名が選ばれる(得票数が並ぶと同時受賞となるため10名以上選ばれることもある)。ただし、
外野手については、
左翼手、
中堅手、
右翼手を同一のポジションとみなして選考を行う。
有資格者は、
規定投球回数以上投球している、または
チーム試合数の1/3以上
登板している
投手と、チーム試合数の1/2以上同じポジションで出場している
捕手・
野手。これを日本の報道機関(新聞、通信社、放送局)のプロ野球記者で5年以上の取材キャリアを持つ記者らの投票で選抜され、受賞者には金色の
グローブをかたどったトロフィーが贈られる。
ちなみに、このグローブ型トロフィーは、職人の手作りで受賞者が使用しているモデルのサイズや特徴を忠実に再現されているもので、各ポジションごとに(キャッチャーならキャッチャーミットといったような)デザインがなされている。
「主観」で選ばれる賞
いかに記者の野球への目が研ぎ澄まされようと、結局は記者の「主観や先入観」が反映されてしまうために、常に議論あるいは批判の対象となる賞である。これは客観的に守備力を判断できる統計指標が未整備なこともあげられる。
たとえば、
守備率に拠り所を求めた場合、守備範囲が広く守備機会の多い選手は高いレベルの捕球を試みるため、かえって失策も多くなり守備率が低くなる傾向がある。逆に守備範囲が狭く捕れそうにない打球に積極的に手を出さない選手は失策にすらならず守備率が高くなってしまう可能性を否定できない。メジャーリーグでは1試合平均のアウトに関わった数(これを
レンジファクターという)などをデータに含めるなどの新しい試みもなされている。しかし、結局は記者の「最高の守備観」という主観に大きく左右される賞である(広い守備範囲や強肩を誇りヒット性の打球を数多くアウトにする選手、一定の守備範囲の中で確実に打球を処理し当たり前のことを当たり前にミスなくやってみせる選手、など)。
もっとも、客観的統計指標が未整備である以上に明らかに統計指標にできないプレーが存在することも事実である。例として強肩の外野手がイメージで走者の進塁を躊躇わせることがあるが、走塁を躊躇うのはあくまでも走者側の主観であり、それを客観的に外野手の功績であると判断することは難しい。逆に弱肩のイメージを逆手に取り進塁を試みた走者を刺す例もあるので、外野手の強肩が走者に危険を冒さず確実に生き残る判断を促し生還のチャンスを残したという見方もできる。
この他にも守備位置の微妙な調整や捕手のインサイドワークなど、試合の状況に加えて相手や味方そして自身の癖や特性を考慮して下したその場の判断を客観的に評価し指標化することはまず不可能であり、どうしても個々の野球理論に基づく主観により守備への貢献の度合いを判断せざるを得なくなる。しかも、記者たちは全試合における全野手の動きと思考を細かくチェックできるはずもなく、現行の記者投票のシステムである限り主観や先入観が入り込むのはいたし方がないとも言える。
選考結果に疑問が投げかけられたケース
前述のとおり、投票する記者の主観に大きく左右されるために、この賞の選考に当たっては、チーム成績、打撃成績、過去の印象、人気、知名度など、純粋な守備力以外の観点が重視され、必ずしも最も守備に卓越した選手が受賞しているわけではないとの指摘がしばしばなされている。
- 1979年 セ・リーグ 捕手
- 若菜嘉晴(阪神)が捕逸のセ・リーグ年間最多タイ記録(17個)を作ったにもかかわらず受賞したことに対する批判がある。
- 1981〜1983年 セ・リーグ 外野手
- 松本匡史(巨人)が3年連続受賞したが、松本は弱肩で有名であるとする批判がある。
- 1984年 セ・リーグ 遊撃手
- 1985年優勝時の正遊撃手である平田勝男(阪神)が初受賞(その後1987年迄4年連続受賞)し、遊撃手守備率日本記録(.991)を樹立した水谷新太郎(ヤクルト)が選ばれなかったことに対する批判がある。
- 1988年 セ・リーグ 二塁手
- 正田耕三(広島)が前年度に続き連続受賞(その後1991年迄5年連続受賞)し、二塁手守備率日本記録(.9971)を樹立した高木豊(大洋)は選ばれなかった。
- 同賞に選ばれなかったことに関して、高木は公式に不満を表明した。 また、スポーツライターからの批判もある。
- 2005年 パ・リーグ 外野手
- 負傷などで満足にプレーできなかったSHINJO(北海道日本ハム、中堅手)が外野手部門において最多得票を得たため、新庄自身が「来年からは、印象ではなく数字で選んで欲しい。そうでないとこの素晴らしい賞の価値がなくなってしまう」 とコメントした。
守備成績における優位者と実際の受賞者が異なっている例
歴代受賞者
パシフィック・リーグ
セントラル・リーグ
ゴールデングラブ賞に関する主な記録
個人最多受賞回数
- 12回 福本豊(1972年〜1983年、パ・リーグ 外野手)
個人最多連続受賞回数
- 12回 福本豊(1972年〜1983年、パ・リーグ 外野手)
個人最多受賞ポジション数
- 3ポジション 立浪和義(二塁手3回、三塁手1回、遊撃手1回)
10代で開幕迎えたシーズンに受賞した選手
- 桑田真澄(19歳で開幕の1987年、セ・リーグ 投手)
- 立浪和義(18歳で開幕の1988年、セ・リーグ 遊撃手)
- 前田智徳(19歳で開幕の1991年、セ・リーグ外野手)
- 松坂大輔(18歳で開幕の1999年及び19歳で開幕の2000年、パ・リーグ 投手)
チーム最多受賞ポジション数
- 8ポジション 阪急ブレーブス(1978年、パ・リーグ)、西武ライオンズ(1992年、パ・リーグ)
レギュラーシーズン最高勝率チーム最少受賞ポジション数
- 0ポジション 中日ドラゴンズ(1999年、セ・リーグ)
その他特筆すべき過去の受賞例
- 同一球団所属の複数選手が特定部門を長期間独占的に受賞した例
- セ・リーグ投手部門
- 2003年まで32年間(延べ33人)中30人(90.9%)が受賞時点で巨人に所属、もしくは過去に所属していた選手。この間、巨人への所属経験のない投手が受賞したのは1986年の北別府学(広島)、1993年の今中慎二(巨人・桑田との同時受賞)、2001年の野口茂樹(いずれも中日)のみ。
- セ・リーグ一塁手部門
- 1999年まで28年間中26人(92.9%)が受賞時点で巨人に所属、もしくは過去に所属していた選手。内訳は王貞治9回、中畑清7回、駒田徳広10回と3人で独占的に受賞。
- チームの成績の躍進により多数選手が受賞した例
- セ・リーグ
- 1992年に最下位から2位に躍進した阪神は前年0人だったが同年4人に増加。このうちパチョレック・オマリー・亀山は通算でもこの年のみの受賞。翌年は2人。
- 1998年にレギュラーシーズン最高勝率記録した横浜は前年2人だったが同年は5人に増加。投手を除く内野の全ポジションを独占した。翌年は2人、2000年以降は金城龍彦(2005年・2007年)の2回のみ。
- 2003年にレギュラーシーズン最高勝率記録した阪神は前年0人だったが同年は4人に増加。翌年は1人。
- パ・リーグ
- 2005年10年ぶりにレギュラーシーズン勝率3位以内(2位)のロッテは前年0人だったが同年は5人に増加。翌年は2人。
- 2006年に25年ぶりにレギュラーシーズン最高勝率記録した日本ハムは前年1人から同年は5人に増加、外野の3ポジションを独占した。
- 受賞者の得票が「該当者なし」を下回った例
- セ・リーグ
- 2004年に一塁手部門で受賞した渡邉博幸は42票を獲得したが、実際には「該当者なし」が50票と最多であった。
- パ・リーグ
- 2008年に一塁手部門で受賞したアレックス・カブレラは40票を獲得したが、実際には「該当者なし」が53票と最多であった。
参考文献
脚注以外の参考文献
- 『The Official Baseball Encyclopedia'94』(社)日本野球機構、1994年
- 『ベースボールレコードブック』ベースボールマガジン社、1997年〜2008年
- 坂本邦夫『プロ野球データ辞典』PHP研究所、2001年
関連項目
外部リンク
こおるてんくらふしよう
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)