生涯
ノーベル賞
1901年、
ローマに生まれる。公務員である父アルベルト・フェルミと、教師である母イダ・デガティスとの間の第3子であった。1918年、ピサ高等師範学校に入学し、物理学を学ぶ。ここで非凡な才能を発揮し、すぐに教師達を追い越してしまった。教師から
相対性理論について教えを請われたこともあった。1922年に学位を取得。
1926年、「フェルミ統計」に関する理論を発表し、世界的な名声を得た。フェルミ統計は、
電子の振る舞いに
パウリの排他原理を導入した新しい
統計力学だった。同時期に
ポール・ディラックも同様の結論を導き出していたため、フェルミ統計は「フェルミ=ディラック統計」とも呼ばれる。電子や
陽子など、フェルミ統計に従う素粒子を総称して
フェルミ粒子と呼ぶ。フェルミ統計は、
金属の熱伝導や、
白色矮星の安定性に関する理論的な基礎を与えるものである。
アメリカへ
しかし、その後の
水素爆弾の開発には倫理的な観点から反対をしている。
第二次世界大戦後は
宇宙線の研究を行った。1954年、
癌により死去。死の床においても、
点滴のしずくが落ちる間隔を測定し、流速を算出していたという。彼がイタリアで率いた同年代の研究仲間たち(
ラガッツィ・ディ・ヴィア・パニスペルナ)は、後にアメリカやソビエトへ渡り、米ソの素粒子物理学の基礎を築いた。
エンリコ・フェルミにちなみ、原子番号100の
元素は
フェルミウム (Fermium)と命名されている。また、10のマイナス15乗メートルを1
フェルミと呼ぶ。
小惑星のひとつも
フェルミと名付けられた。
関連項目
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)