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ウクライナ人

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ウクライナ人ウクライナ語:українці ウクライィーンツィ)は、東スラヴ人に属し、スキタイ人ゴート人スラヴ人(一部ノルマン人)の混血によって形成されたといわれる民族である。ウクライナを中心に住居している。ウクライナの主要民族である。

概要

の人口(2001年度全ウクライナ国勢調査より)。]]
世界中に4400万以上の人口があり、ウクライナのほかベラルーシロシア連邦ポーランドドイツフランスカナダアメリカ合衆国などに居住している。彼らは、ヨーロッパで最も背の高い人種として知られ、頭と顔の幅が広く、脚が長く、肩幅が広いこと、それにヨーロッパ系としては皮膚・毛髪・眼の色が黒みがかっていることが身体的特徴であると言われるが、実際にその通りの身体的特徴を持つウクライナ人が多いわけではない。これは、北欧系(ノルマン人)など他民族との混血が進んだためとも言われる。
名称に関しては、いくつかの異なる呼ばれ方が存在した。かつてウクライナの地域が「ルテニア」(ルーシラテン語形)と呼ばれたことから、この地域の住民を「ルテニア人」(ルテーヌィ)と呼ぶ場合もあった。また、同様に「ルーシ人」(ルースィン)と呼ばれたこともあった。また、かつてウクライナ(時期によって紅ロシアの地域、またはドニエプル川流域)が「小ロシア」と呼ばれたことから「小ロシア人」(マロロースィ)と呼ばれたこともあった。しかし、「小ロシア」という名称が本来の意味を離れて蔑称として用いられるようになったことから、現代では「小ロシア人」という名称もウクライナ人をおとしめて言うものとなっている。この他、ウクライナの住民の多くがコサックであったことから、かつては「コサック」といえばウクライナ人のことを指した時代もあった。現代でもウクライナ人の半数程度がコサックを先祖に持つといわれ、そのことを誇りとして自ら「コサック」と名乗ることもある。一方、ロシア側の一部にはコサックをおとしめる風習もあるため、ウクライナ人をおとしめて「コサック」と呼ぶこともある(ただし、ロシア人がみなコサックを貶めているわけではない)。

ウクライナ人に関する基本データ

(ウクライナ民族に限る)
総合人口 43,000,000人 (2005年による)
国・地域別の人口
言語・文化的に所属している集団 インド・ヨーロッパ語族スラヴ人
宗教  ウクライナ正教ロシア正教、ウクライナ・カトリック(ユニエイト・東方典礼)、ウクライナ自治正教会、ラテン典礼など。

歴史

へ手紙を書くザポロージエ・コサック]] ウクライナ人は中世におけるキエフ・ルーシ(7-13世紀)の形成者であったが、モンゴル勢力の侵略により亡ぼされた。また、近世初めにはヘーチマーン国家ウクライナ・コサック国家、17-18世紀)を形成したが、のちに独立を失い各国間で分割支配されることになった(リトアニア大公国ポーランド王国ポーランド・リトアニア連合)、ロシア帝国オーストリア・ハンガリー帝国ルーマニアなど)。ロシアなどとの戦争に敗れたウクライナ人の一部は、ルーマニアやトルコへ逃れ再起を図ったが、ウクライナ人による独立国家の成立はならなかった。
一時期、ウクライナ人の半数が登録コサックとなっていた。そのため、現代でも自分はコサックの子孫であると自負するウクライナ人も少なくない。その後、コサック国家が滅びると、多くのウクライナ人はもとの農民に戻った。一方、都市に居住する一部のウクライナ人はロシア化した。都市と農村の分断は、のちの内戦に大きな決定要因として働いた。
ロシア革命後の1917年、ウクライナ人は各勢力に分かれてそれぞれ独立を宣言した。特に、中部ウクライナのウクライナ民族主義者はウクライナ国民共和国を、西ウクライナの民族主義者は西ウクライナ国民共和国を建設し、前者は初めてのウクライナ人による近代国家となった。
しかしながら、ウクライナは領土を取り合うポーランドとボリシェヴィキの戦争(ポーランド・ソヴィエト戦争)やポーランド・ウクライナ戦争、ウクライナ・ソヴィエト戦争などロシア内戦・ウクライナ内戦の主戦場となり、まだ伝染病などにより多くのウクライナ人が死傷した。また、アナーキストのウクライナ革命反乱軍に参加したウクライナ人も多かった。東ウクライナには、ロシア人ユダヤ人を中心としたウクライナ人民共和国(ウクライナ・ソヴィエト共和国)が、のちにウクライナ社会主義ソヴィエト共和国がロシアのボリシェヴィキ政府の後押しで成立した。最終的には、西ウクライナはポーランドに、それ以外のウクライナとクリミアはボリシェヴィキのソヴィエト勢力に制圧された。その結果、反ボリシェヴィキ派の多くのウクライナ人が国外へ逃れざるを得なくなった。
その後、ウクライナ社会主義ソヴィエト共和国はロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国白ロシア・ソヴィエト社会主義共和国(ベラルーシ)とともにソ連を形成した。のちに国号はウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国に変更された。
1920年代、ソ連政府はそれまでの対ウクライナ強攻策を改め、ウクライナに対する懐柔政策を採った。この時期、ウクライナでは中央政府の要人にウクライナ人が登用されるなど、ウクライナ人の社会的地位を向上させる政策が採られたほか、ウクライナ文化の研究や振興も盛んに行われ、さまざまな形でウクライナ文化が花開いた時代といわれる。
だが、1930年代になるとヨシフ・スターリンがソ連政府の権力を掌握し、懐柔政策は撤廃され、ウクライナ弾圧政策が採られた。また、1932年から1933年にかけて発生した大飢饉(ウクライナやその他一部の国々では、ウクライナ人に対するジェノサイドと見る向きも存在するが、当時飢饉はウクライナのみならずロシア南西部を中心とした広大な範囲で発生しており、ウクライナ人「のみ」を標的としたジェノサイド、という見方は正しくない)以後は、その飢饉の責任を押し付けられる形でウクライナ・ソヴィエト政府の主席以下多くがスターリンによって処刑、あるいは自殺した。また、スターリンの方針により国外へ亡命していたウクライナ人のソ連への呼び戻しキャンペーンが張られた。多くのウクライナ人の亡命していたイギリスカナダアメリカ合衆国ではこれを機会に亡命ウクライナ人の一掃を図った。帰国したウクライナ人の多くが、様々な嫌疑をかけられ処刑、あるいは流刑されるといった事態が発生した。
その後、大祖国戦争の主戦場となったウクライナは、第二次世界大戦で最大規模の死者を生じた。大戦での犠牲者は軍・民問わず膨大な数に上ったが、中にはソ連軍によって、ドイツ軍ナチス・ドイツ)への協力という嫌疑により(当時ソ連政府に反感を持つウクライナ人も多かったため、実際にドイツ軍に協力したウクライナ人も多かった)殺害されたものも多数存在する。また、当時西ウクライナを中心にいくつかのパルチザン組織がソ連の赤軍に対し敵対行動をとった。中でも、ウクライナ蜂起軍は赤軍・ドイツ軍双方へのパルチザン活動を行い、一時は西ウクライナの大半を掌握していた。この勢力は、1950年代ソ連軍によって制圧された。また、ウクライナ人の組織がポーランドに対して敵対行動をとったことから、ポーランド内のウクライナ人コミュニティーは強制的に解体され、以降同国内でウクライナ人が多く集まって居住することは禁ぜられた。
第二次世界大戦中、かねてより極東に亡命していたウクライナ人の多くは、モンゴル満州国中国を通じて日本軍と協力し、対ソ連戦に参加した。
戦後ウクライナは、ソ連の主要産業を担う重要地域として発展した。豊かな土壌を持つ西部はソ連の大穀倉地帯として、また良質の石炭・鉄鉱石を産出する東部は重工業地帯として大いに成長する中で、多くのロシア人などが移住した。
1991年、ウクライナはソ連からの独立を宣言し独立国家となった。独立ウクライナは、ウクライナ人のウクライナ性を高めるためロシア語を公用語から排除するなど、ウクライナ化政策を採った。そのため、ロシア化したドンバスなどの地域からは反発も強い。

文化

ウクライナ人は、独自の言語としてウクライナ語を用いる。また、地域によってはロシア帝国・ソ連時代からの習慣でロシア語を用いる人も多く、ウクライナ語がほとんど通じない地域も存在する。ウクライナに居住するウクライナ人の大半は正教会ウクライナ正教会)、残りは東方典礼カトリック教会を信仰しているとされる。

居住地域

多くのウクライナ人はウクライナに居住しているが、ウクライナ国外に居住するウクライナ人も少なくない。ロシアの極東地方、カナダ、アメリカ合衆国、イスラエルなどに特に多い。その他、ロシア全土、ベラルーシ、中華人民共和国、ポーランド、旧オーストリア・ハンガリー帝国領、ルーマニアなどに居住している。またロシアでは、ウクライナにルーツがありながら民族的にはロシア人を名乗っている者が多く、両者間の通婚も多いため、明確に区別することは難しい。

ウクライナ人の姓

ウクライナでは古くから住民の移動・移住が大規模に行われており、地域に固有の姓というものは薄れている。本来固有と考えられる地域は、以下の通りである。なお、表記は便宜的なローマ字表記とする。
  • 西部地方には-ak、-ukなどkで終わるパターンの姓が多く、隣接するポーランドやチェコなどにもよく見られる。
  • 北部及び東部などドニエプル・ウクライナ地域では、「コ」(-ko)あるいは、「エンコ」(-enko)という父祖の名にちなむ姓の語尾が多い。隣接するロシア・ベラルーシなどでもごく普通に見られるが、ウクライナにルーツのある姓とされる。後述の-ev、-ovと対応していることが多く、例えば“Ivanov”と“Ivanenko”との違いは日本でいう「坂田」と「坂口」あたりとの違いに類似している。なお、男性・女性で語尾の変化はない。
*人名
*イヴァネンコ:イヴァンの子→イヴァノフに対応(以下同じ)
*ペトレンコ:ペトロの子→ペトロフ
*マルチェンコ:マルコの子→マルチェフ、マルコフ
*コンドラテンコ:コンドラトの子→コンドラチェフ
*フォメンコ:フォマ(トマス)の子
*フメリヌィチェンコ:フメリヌィーツィクィイの子
*職名
*シェフチェンコ:靴屋の子
*コヴァレンコ:鍛冶屋の子→コヴァロフ
*トカチェンコ:織屋の子→トカチョフ(トカチェフ)
*スリュサレンコ:大工の子→スリュサレフ
*ホンチャレンコ:陶工の子→ホンチャロフ(ゴンチャロフ)
*ゾロタレンコ:金匠の子→ゾロタレフ
  • スラヴ系諸国に多い-skijや-vichも多い。うち、-skijは女性名となると-skaの形に変化する。
  • 普通名詞を物主形容詞化して姓とする-in、-ev、-ovといったパターンも多い。-skij同様に女性名の場合は後にaが付き変化する。隣接するロシアやベラルーシでもごく普通に見られるが、これは帝政ロシアソ連による長期にわたる支配が大きく影響しているものと思われる。単語によってはウクライナ語ではロシア語では-ovとなるところが-ivとなる場合もある(「中島」という地名・姓が地域によっては「なかしま」と呼ばれるのに近い)。なお、-ev、-ovのパターンについてはブルガリアでも普通に見られる。
  • KuchmaやBubka、MazepaChaykaなど-aで終わるような姓もあるが、これはたんにウクライナ語の普通名詞が姓となった例が多い。その場合、動植物の名詞が姓となっていることが多い。無論、-aで終わらない普通名詞も姓となっており、-aが特殊な例というわけではない。たんに、ロシア語系の姓では-aで終わる姓は女性形のみであるため、ロシア語系の姓に馴染んだものにとっては特異に感じられるだけである。普通名詞の性になった例としては、他にShchur、Buryakなど。これがロシア語化すると、Shchurov、Buryakovなどのように物主形容詞化することになる。

ウクライナ国民

なお、国民としてのウクライナ人には、ウクライナ人のほかロシア人ルーマニア人ベラルーシ人クリミア・タタール人ガガウズ人ユダヤ人などの少数民族が含まている。

関連項目

*うくらいなしん

出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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