本項では、主にドイツのアウトバーンについて記述する。
概要
「アウトバーン」を逐語訳すると「自動車の走る道」である。ドイツ語の「バーン」とは、人や馬も歩くような道ではない、専用道的な意味合いを持つ。例えば
Sバーン(近距離鉄道)、
Uバーン(地下鉄)、シュトラーセンバーン(
路面電車・市電)などは鉄道である。アウトバーンも自動車専用道路である。
現在はその他に高規格の自動車専用道路をシュネルシュトラーセ (Schnellstrasse) と呼んで区別している。アウトバーンの路線番号は東西方向が偶数、南北方向が奇数に割り振られている。シュネルシュトラーセの制限速度は大体120km/hとなっている。ドイツの速度制限ルールはいたって簡単で、街の始まりを示す標識、終わりを示す標識の間の市街地は50km/h、それ以外は100km/hである。
ドイツのアウトバーンは、スイス、
フランス、オーストリア、
オランダ、
チェコ、
スロバキア、
デンマークなど隣り合う各国の高速道路と密接に接続されている。オーストリア、スイス、チェコ、スロバキアではビグネットと呼ばれるの通行料金を支払いを示したステッカーシールをフロントガラスに貼る。ビグネットは国境のサービスエリアや当該国のガソリンスタンドで購入できる。ビグネットを貼っていない場合は通行料金と罰金を警察に徴収される。フランスの高速道路・
オートルートやイタリアの高速道路は有料となっている区間が多く、国境を越えると本線上に料金所が現れる。オランダの高速道路は無料であるため国境を示すEUの標識があるだけである。デンマークの高速道路は無料だが海底トンネルは有料である。
歴史
アウトバーンの最初の構想と計画および部分的な建設は1920年代の
ヴァイマル共和国時代においてであった。しかし経済問題および政治的援助の不足によって、
ベルリンのレースサーキット、
アヴスの一部をのぞき、計画の大部分の建設は進まなかった。計画の内の一つは、
ハンブルク北部から
フランクフルト・アム・マインの中央部を通り
スイスの
バーゼルに抜ける自動車専用道「HaFraBa」であった。また、いざと言う時は飛行機を離陸させるための
滑走路としても使用できるように設計されている。「アウトバーン」の名称は
1929年に定められた。
第一次世界大戦の敗北で、ドイツは莫大な賠償金を請求されるなどして
ハイパーインフレーションに陥った上、その後の
世界恐慌による不景気で深刻な経済状況となり国内は大量の
失業者であふれていた。
1933年の
ナチ党による政権成立後、
アドルフ・ヒトラーは
経済政策の一環としてアウトバーン計画を含む
公共事業に注力した。アウトバーン建設総監に任命された
フリッツ・トートの指揮下に建設が進められた。公共事業のおかげでドイツでは失業者が大幅に減少した。アウトバーン計画はプロパガンダに利用され、6ヵ月の無償勤労奉仕 (Reichsarbeitsdienst) を義務付けられたナチ党の青少年がこれに参加し、新しいドイツの建設という国民意識の高揚に大きく寄与した。
アウトバーンは世界で初めての高速道路ネットワークであった。このことはドイツを世界屈指の自動車大国に作り上げていく大きな礎となった。フランクフルトから
ダルムシュタットまでの最初の区間は
1935年に開通した。この直線区間は1938年前半にドイツ人レースドライバー、ベルント・ローゼマイヤー (Bernd Rosemeyer) の致命的な事故が発生するまで
メルセデス・ベンツおよび
アウトウニオンのグランプリチームによって最高速度記録達成のため使用された。
第二次世界大戦中は連合軍の空襲を避けるためにトンネルや近くの森の中に航空機を隠し、アウトバーンを滑走路代わりとして利用した。
連合国による激しい爆撃によってアウトバーンは多くの部分が破壊されたが、戦後西ドイツ地域の区間は早急に修復が行われた。
1950年代に西ドイツ政府は構築プログラムを再開し、新区間の建設および既存区間の改良に多額の投資を行った。一方で、
東ドイツおよび
ポーランド区間は各政府の経済的な問題で修復が進まなかった。
1980年代には西ドイツ国内ですべての世帯から10km以内のアクセスを提供する計画が進められていたが、
ドイツ再統一後には予算を東側にシフトし建設が行われた。
制限速度
アウトバーンには
速度無制限区間といわれる区間と速度制限区間がある。速度無制限区間といっても
乗用車は車ごとに制限速度が設定されており、その制限速度以上で走ることができない。
トラックは80
km/hが制限速度になっている。日本と同様に
自動速度違反取締装置(カメラ)が設置されているところもある。速度無制限区間における推奨巡航速度は130km/hとされている。
近年は速度制限区間が多くなり、速度無制限区間は路線全体の20%以下となっている。速度無制限区間であっても、路面の荒れが激しいことや交通量の増大に伴い混雑が激しいこと、すぐに速度制限区間に到達してしまうことなどから、近年の幹線道路においては、交通量の少ない地方の路線を除いて、200km/hを超えるような超高速走行は難しくなっている。
2008年には
ブレーメン市が120km/hの制限速度を導入。市内全域で制限を行う自治体は初めてであった。
料金
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かつては全線無料だったが、東西
冷戦の終結、
EUによるヨーロッパ経済の統合によって、ヨーロッパの中間に位置するドイツのアウトバーンは東西交通の要として重要な存在となっている。そのため、各国からの交通量の増加に加えて周辺の環境対策や道路の整備維持など、莫大な費用がかさんできており、現在ドイツ政府は有料化の方向で検討している。
2005年1月より12トン以上の大型トラックについて有料となった。本線上に
ETC受信装置を設置し、80km/hで走行しているトラックの車上装置と赤外線で通信を行い、
GPSによって通った路線料金を計算して納めるシステムである。本線受信装置からホストコンピュータへは
ドイツテレコムの
携帯電話通信網が使われる。ゲートを高速で通過するため当初は誤作動が多く、システムを請け負った
シーメンス社は違約金をドイツ政府に支払った。
国外業者のトラックに対しては車上装置設置の義務はない。そのため、車上装置を持たない国外業者は、通るルートの通行券をサービスエリアに備えられたチケットマシンで購入するシステムになっている。
設備・設計
アウトバーンの設計は高速走行に適したようになされており、勾配は原則的に4
%以内に抑えられている。また、建設時に航空機の発着を想定したため、舗装が他国の高規格道路に比べてかなり厚くなっている。
その他
戦前から戦後にかけての日本における
弾丸道路計画は、アウトバーンに刺激されたものであるといわれる。
アウトバーンをテーマにした作品
- 『アウトバーンコップ』 (Alarm für Cobra 11 - Die Autobahnpolizei)
-
RTLテレビが放映している、ドイツのテレビドラマ。その名の通り、アウトバーンを舞台に、ドイツ警察高速警察隊の活躍を描く。爆破・銃撃戦・カーチェイスと、多重事故など派手なアクションシーンが展開され、一部のファンからは、「ドイツ版・西部警察」とも称される。このドラマの撮影のために、一部の路線で通行止めが行われたりする。
- 日本でも、日活がビデオ・DVD化。他のシリーズも他社からビデオ、DVDが発売されている。
- 2008年4月4日から、プライムウェーブが『アラーム・フォー・コブラ11』というタイトルでDVDリリースしている。
-
クラフトワークの4枚目のアルバムおよび曲名。
脚注
関連項目
- Reichsautobahn (ドイツ語:戦前のアウトバーン建設計画)
-
ドイツ車
外部リンク