メンバー
略歴
1988年5月、
コメディアンとしてスカウトされた高校時代の同級生に連れられて
ホリプロの事務所に遊びに行ったことがきっかけでお笑いの道へ進む(当初は3人組だった。トリオ名は「しゃぶしゃぶ」)。
1989年4月、ホリプロのお笑いライブに出演し、お笑いコンビ「バカルディ」として活動を開始。「バカルディ」はネタを考えていた時に着ていたTシャツの文字から取った。またダブルミーニングとして日本語の“バカ”も意識していた(かつて『
象印クイズヒントでピント』にゲスト出演した際、コンビ名の由来を尋ねられた大竹は「最初は『バカ』というコンビ名にしようと思ったが、周りからの評判が悪かったので、ちょっと変えて『バカルディ』にした」と発言している)。同期に
田口浩正、
小浦一優(現 芋洗坂係長)が組んでいたお笑いコンビ「テンション」がいる。
1990年代前半、関東期待の若手芸人としてテレビ・ラジオ等で活躍。同時期に人気を博した
ホンジャマカと共に、当時の人気力士に準えて「お笑い界の
若・
貴」とも称された。しかし90年代半ば頃からメディア露出の機会が減り、(特に
ボキャブラ天国に出演しなかったことが大きいとされる。なお、ホンジャマカはボキャブラ天国に出演経験がある)しばらく不遇の時期を過ごした。その後は主な活動の場を舞台へと移し、コンスタントにライブ活動を続けていた。
2000年に出演した『
新ウンナンの気分は上々。』(TBS系)の企画において、コンビ名を「さまぁ〜ず」に強制的に改名させられた(後述)。これをきっかけに再び世間の注目を集め出し、三村独特の「〜かよ!」に代表されるツッコミ芸(通称「三村ツッコミ」)が認知され再びブレイク。これを足掛かりに徐々にその活動の場を広げていった。
特徴・エピソード
- その芸歴の影響か、大竹が書くネタの原点には常に何かしらのネガティブな発想が扱われる。反面、即興芸の場では2人ともに下ネタを好む。
- 持ち芸の「悲しいギャグ」をまとめた本・『さまぁ〜ずの悲しいダジャレ』『さまぁ〜ずの悲しい俳句』は、いずれもベストセラーとなった。
-
コントの代表作に「美容室」「家庭教師」「銀行強盗」など。
- 登場時の「つかみネタ」として、汗を拭うフリをしながら三村が「夏だから、さまぁ〜ず!」と言うものがある(夏以外の場合は「○○なのに、さまぁ〜ず!」となる)。このネタの原案を考えたのは有田哲平(後述の改名対決の際)。また主にネタ見せ番組などでの出囃子(登場する際のBGM)として、「さまぁ〜ず (SUMMERS)」に引っ掛けてTUBEの『SUMMER CITY』などが使われる。
- 当初はコント以外でもボケ(大竹)とツッコミ(三村)の役割がはっきりしたコンビだったが、『内村プロデュース』以降、フリートークなどでは両者が等しくボケ合ったり、むしろ大竹の方がツッコミ役に回ったりすることが多くなった。三村は雑誌「QuickJapan」(第74号、2007年10月刊)のインタビューで、「以前はいいボケを思いついても大竹の役割だからと遠慮していたが、『内P』でその遠慮が消えた」と語っている。
- 毎朝三村の車に同乗して仕事場にやって来るなど、とても仲のいいコンビ。大竹曰く、「うちらはキャイ〜ンの次ぐらいに仲が良い」。20年来の友人ということもあって互いの趣味嗜好が似ており、ファッションなどにおいて2人が偶然同じものを持っていたりするという。
- 低迷していた頃、三村は大竹に「ヨゴレ仕事は全部オレが引き受けるから、お前は思う存分ネタを書け」と言い続けていた。三村はその間レポーターなどやや毛色の違う分野で活動し、コンビを支えた。
-
1996年頃、『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)の番組内で三村のツッコミが何度もネタにされ、岡村隆史は各所で三村のものまねを披露していたという(当時の知名度からかテレビではそのシーンの放送は敬遠されがちだった)。また『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)のコーナー「笑わず嫌い王決定戦」にもコーナー開始当初から出演。これらもまたさまぁ〜ずがのちに再び脚光を浴びる下地となっており、当人たちも様々な場所で「(ブレイクは)ナインティナインのおかげ」と語っている。
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2005年には自身のコントライブから派生したバンド「マイナスターズ」として、CDアルバム『ネガティブハート』を発売。その後も不定期でマイナスターズとして音楽活動を行っている。
- 2人は学生時代からビートたけしに憧れており、三村はピコピコハンマーで叩かれる事が念願だった。大竹はバカルディー時代に出演した『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』で多少いじられた事はあるが、三村は全く絡みが無かった。このため三村にとってはデビュー以来の目標だったが、2003年に『ビートたけしの!こんなはずでは!!』のレギュラー出演で遂に実現した。後に『さまぁ〜ずの逆にアレだろ!?』(TBSラジオ)の中で三村は、「ピコハンで叩かれた瞬間から、感極まって見る見るうちに目が赤くなり、その後は一言も喋れないまま本番が終わってしまった」と語った。また収録の合間にエレベーターでたけしと偶然乗り合わせた際には、緊張の余り汗だくで一言も喋れなくなったという。
-
ヤマダ電機のCM撮影時、控え室にて二人で「ヤマァーダ電機」とヤマダ電機のサウンドロゴを勝手に考えて遊んでいたところ、CMスタッフが「そのサウンドロゴをそのままCMに使いましょう」という事になり、今でもこのリズム&フレーズのサウンドロゴがヤマダ電機のCM等で使われている
改名
TBS系列のバラエティ番組『
新ウンナンの気分は上々。』において、海砂利水魚(のちの
くりぃむしちゅー)と因縁の対決として数々の企画が組まれた。当初は芸能界引退を賭けた勝負であったが、3回目の対決となった
2000年10月20日放送分において陸上競技対決を行い、敗れた方が罰としてコンビ名を屈辱的な名前に改名させられることになった。敗れたバカルディは半年間(のちにもう半年延長)「さまぁ〜ず」として活動する憂き目に遭った。
「さまぁ〜ず」というコンビ名は
内村光良(
ウッチャンナンチャン)によって命名。由来は三村・大竹とも好きな季節が夏だから、という単純なもの。脱力感のあるひらがなと「〜」の表記、また「バカルディ」の名に愛着が湧いていたこともあり、改名決定直後の本人たちは当然ながら大きな抵抗があったようだが、所属事務所の対応はスムーズで、社内外の資料や仕事先での応対などは瞬く間に「さまぁ〜ず」に移行したという。
当初改名は期間限定の企画であったが、その期限が過ぎる頃になると「さまぁ〜ず」の名で徐々に人気が上がってきたこともあり、元に戻す必要性がなくなってしまった。そのため、
ビーチバレー対決(
2001年9月28日放送)の際は
有田哲平の提案で、さまぁ〜ずが負けたら個人の芸名をそれぞれ「ビーチ三村」と「大竹すいか割り」にする条件となった。しかし結果は海砂利水魚の負けとなり、これらは幻の芸名となった(逆にこの敗北により、海砂利水魚は「くりぃむしちゅー」に改名する羽目になる)。以降、コンビ名は「さまぁ〜ず」で完全に定着し現在に至っている。
しかし、お笑い芸人の看板とも言うべきコンビ名を安易に替えてしまった内村はその責任を重く感じ、その後両コンビ(特にさまぁ〜ず)を自身のレギュラー番組などで積極的に起用していった。これが不遇の時期を過ごしていた両コンビに世間の目に触れる機会を与え、のちのブレイクを後押しする形となった。
新聞の
ラテ欄での表記は、番組名を除いて「
さまぁーず」である。これは新聞で「〜」は「から」と意味する事が理由と思われる。同じ理由が当てはまる事例として「
キャイーン」が挙げられる
出演
レギュラー番組
ドラマ
-
ROOKIES(TBS系、2008年) (リンカーンの企画でエキストラとして出ていた。)第1話ゲスト
特別番組
ほか
ネット配信
過去の出演作品
「バカルディ」時代を含む。
テレビ
- バラエティ
ほか
- 単発・スペシャル
ラジオ
コマーシャル
-
ヤマダ電機
- 現在も同社CMで使用されている「ヤマ〜ダ電機♪」というフレーズは2人の作。
-
NTT東日本
- ISDNで当たりマウスバージョンで中居正広と共演。ただし、アフレコで声のみの出演。
-
プロミス(1998年)
- 「ヤリリン」「クリリン」というアニメキャラクターの声とテーマソングを担当。テーマソング『ヤリー BE GOOD!』は同名クレジットでCD化もされている。
-
日清食品・焼きそばWからしマヨネーズ (2002年3月)
- スナイパーに扮した大竹が、会社のデスクにいる三村の焼きそばを狙うというもの。
-
デフスターレコーズ・平井堅ベストアルバム「歌バカ」(2005年)
-
シャープ「日本一短いクイズSHOW シャープに答えて!」
- 三村単独の出演。一時山口もえの産休に伴い、大竹が代役として出演した(2007年7月-9月)。GyaOにて約5分間の「オリジナル完パケ版」を視聴できる。
映画
舞台
CD
- ヤリー BE GOOD!(1998年07月23日、ヤリリン・クリリン名義、プロミスCMソング)
ライブDVD
- バカルディライヴX 〜サラダで白飯くえねーよ! (1997年、銀座博品館劇場)
- バカルディライヴ なまたまごかけ御飯 (1998年、青山円形劇場)
- バカルディライヴXII 少年と犬と公園と私 (1999年、新宿シアターアプル)
- 冬なのにさまぁ〜ずライブ (2000年、朝日生命ホール)
- さまぁ〜ず ライブ2 (2001年、グローブ座)
- さまぁ〜ず ライブ3 (2002年、天王洲アートスフィア)
- さまぁ〜ず ライブ4 (2003年、天王洲アートスフィア)
- さまぁ〜ず ライブ5 (2005年、原宿クエストホール)
- さまぁ〜ず ライブ6 (2007年、恵比寿ザ・ガーデンホール)
以上すべて
ポニーキャニオンから発売。ライヴXからさまぁ〜ずライブ3までを集めた6本組BOXSETも発売されている。
- マイナスターズライブ 〜その日雨だけどね〜 (2005年、duo music exchange)
-
ライブミランカ さまぁ〜ずトークLIVE 三村もいるよ! (2006年、原宿BlueJayWay)
書籍
- さまぁ〜ずの悲しいダジャレ(宝島社)
- RUN! DOG! RUN! さまぁ〜ずの紙コント(角川書店)
- ドッグとキャットとトリとほか(光文社)
- さまぁ〜ずの悲しい俳句(宝島社)
- バカルディ時代に、こちら葛飾区亀有公園前派出所78巻の巻末解説者として出ている。
関連項目
外部リンク
脚注
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)