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2018-05-14 05:00:00

沖縄タイムス社

「今でも手本になる」 沖縄の高校野球の名将・栽弘義監督が残したノート公開

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「今でも手本になる」 沖縄の高校野球の名将・栽弘義監督が残したノート公開
〈同じ少年なのだ、皆弱いんだ。〉古いB5判のノー・・・

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 〈同じ少年なのだ、皆弱いんだ。〉古いB5判のノートにつづられた文字。1991年8月21日、沖縄水産高校が甲子園で2年連続準優勝を遂げた夏、故・栽弘義監督が、大阪桐蔭に逆転負けした決勝戦のベンチで書き記した言葉だ。練習でも試合でも、名将がいつもユニホームの後ろポケットに二つ折りに差し込んでいたノートには、試合経過や対戦相手の情報、練習メニューや選手への思いなどが残されている。沖縄の高校野球を全国区へと押し上げた“栽野球”の全てが詰め込まれた貴重な資料だ。

 同校野球部の部長として栽さんと7年間を過ごした當銘和夫さん(68)は「さっと尻のポケットから取り出し、大きな文字でババっと書いていた。多いときは1カ月に3、4冊使っていたから、100冊以上はあるんじゃないか」と振り返る。

 〈バントの構えでスティールあり〉〈カーブそれほど大きくない〉など対戦相手の分析から〈脇をしめて前で叩いていない〉〈攻守の交代は元気よく〉など選手への注文、試合ごとの詳細な経過も残る。さらに〈ゆっくりやろう 笑ってやろう〉〈頑張れよ延長戦〉〈ファインプレー!〉の言葉もあれば、〈いいかげんなプレイ〉〈最低〉など選手へのいら立ちや不満も吐き出されている。

 91年夏決勝のページは〈大野全て高めのB けんせいも出来ず〉で終わる。右肘を剥離骨折しながら投げ続けた大野倫さん(45)は、久しぶりに目にした恩師のノートを2時間近くかけて読んだ。甲子園練習から決勝戦まで細かく記され「当時の映像が頭に鮮明に浮かんで、フラッシュバックしました」。

 栽さんの野球人生が詰まった内容に「僕も指導者ですが、あの場面で栽先生はこう考えていたのかと。それは決して古くなく、今も手本となるもの。24時間ずっと野球のことを考えていたんですね」と懐かしんだ。(運動部・儀間多美子)◇     ◇ 沖縄の高校球史を当時の資料や新聞、映像で振り返る「熱闘 高校野球 本気の夏 100回目」が6月5〜7月8日、県立美術館・博物館で開かれる。栽監督が残したノートの中から2年連続準優勝の年を中心にした6冊も公開される。

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