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2018-05-13 08:18:00

沖縄タイムス社

苦節16年「クダカ」で戴冠 大阪大正区生まれのボクサー、拳に宿る”沖縄”

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苦節16年「クダカ」で戴冠 大阪大正区生まれのボクサー、拳に宿る”沖縄”
「デビューして16年、やっとチャンピオンになれた・・・

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 「デビューして16年、やっとチャンピオンになれた。続けてきてよかった」。大阪で4月に行われたプロボクシング日本スーパーフライ級王座決定戦に勝ち、新王者になった33歳の久高寛之選手(仲里)は大阪市大正区生まれの沖縄3世だ。戦績は26勝(11KO)17敗2分け。負けが続く中で昨年、リングネームを本名の「ヒサタカ」から「クダカ」に変え、45戦目で初のベルトを腰に巻いた。「ベルトは重い。僕を見捨てず、応援してくれる大正区の人たちの期待にも応えていきたい」と拳を握る。(社会部・磯野直)

何度も心が折れかけた

 王座決定戦は4月14日、那覇市出身で37歳の翁長吾央選手(大橋)との間で争われた。計70歳のウチナー対決は互いの「負けたら引退」の覚悟と意地がぶつかり合い、判定で久高選手の手が上がった。「翁長さんの強い気持ちはすごかったけど、僕も負けられなかった」と語る。

 中学3年でボクシングを始め、2002年に17歳でデビュー。16年のキャリアの中で挑んだ日本1回、世界4回のタイトル戦は全て負けた。「何度も何度も心が折れかけた」という。

 父方の祖父母は東村、母方の祖父母は今帰仁村出身で戦前、大阪に渡った。戦前の沖縄は「ソテツ地獄」と呼ばれるほど困窮。多くの人が出稼ぎに行き、送金が故郷の窮状を救った。

流れを変えたかった

 当時の本土は沖縄に対し、差別と偏見の目を容赦なく向けていた。移住したウチナーンチュは出自を隠そうと改名したり、読み方を本土風に変えたりする人も多く、久高家は読み方をヒサタカに変えて生きてきた。

 5年前に96歳で他界した祖父の將善さんは久高選手が幼い頃、一族の中で唯一クダカに戻したという。

 大宜味村出身で、大正区でジムを営む仲里義竜会長(52)は以前から久高選手に「読み方をクダカに戻したら。神の島の名前だよ」と勧めてきた。「ウチナーンチュの誇りを忘れてほしくない」との思いがピンと来ず、久高選手は聞き流していたという。

 負けが続く中で昨年8月、世界を2階級制覇した井上尚弥選手の弟・拓真選手との試合が決まる。久高選手はこの一戦を前に、リングネームの読み方をクダカに変えた。「注目を集める一戦、どうにかして勝ちたかった。何かにすがってでも流れを変えたかった」

大正区の人たちの思い

 判定で敗れたが新進気鋭と互角に打ち合い、評価は上昇。タイトル戦線に生き残り、今回の日本王座獲得につなげた。3月に103歳で亡くなった、祖父將松さんの弔いにもなった。

 人口約6万4千人のうち4分の1が沖縄にルーツを持つといわれる大正区。仲里会長は「ここで差別の時代を生きてきたおじい、おばあに、久高が戦う姿を見せたい」と意気込む。

 王者になって約1カ月、久高選手は大正区の人たちの喜びを実感している。「単なる勝利報告と違い、ベルトを見せると全然違う。何度も期待させて裏切ってきたのに、みんな喜んでくれる」と話す。

 「ベルトを守っていけば5度目の世界戦も見えてくる。大正区のみんなと、会長の熱い思いに応えたい」と力を込めた。

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