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2018-01-14 05:45:00

沖縄タイムス社

汗ばんだ腕に残る「根性焼き」… 不良で目立つことが名誉と思っていた

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汗ばんだ腕に残る「根性焼き」… 不良で目立つことが名誉と思っていた
◆青葉のキセキ−次代を歩む人たちへ&min・・・

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青葉のキセキ−次代を歩む人たちへ−(1)第1部 立ち直り 健太、新たな一歩(上) ヘッドギアの下からのぞく鋭いまなざし。次の一歩を踏み出すたびに「キュッ、キュッ」と響くシューズの乾いた音、パンチを繰り出すたびに聞こえる息遣い。昨年12月9日、豊見城市の平仲ボクシングスクールジムでは少年院を2度経験した仲里健太(21)がプロテストに臨んでいた。

「健太、頑張れ!」

 「やり直そう。変わるべきは自分だ」。ボクシングを始めてから2年。反省と感謝の思いを巡らせながら、リングに上がった。

 プロテストは1ラウンド2分30秒、計2ラウンドのスパーリングを行い、ワンツーを基本とする攻撃と、ガードを中心とする防御の能力を審査。最初は緊張したが相手のジャブをよけると体が動き始め、積極的に攻勢に出た。

 「健太、頑張れ!」。リングの下でエールを送り続けたのは中学校の恩師、少年院の元教官、おじ、お世話になった幼なじみの父親…。窃盗や暴走行為を繰り返していた仲里の少年時代を知り、更生させようと見守ってきた大人たちが、わが子を応援するかのように必死に声援を飛ばしていた。

 結果は合格。ヘッドギアとグローブを外しながら、仲里は少し照れた表情を浮かべた。汗ばんだ腕には、中学時代にたばこの火を押し付けてできたやけどの痕「根性焼き」がいくつも残る。

 「これまでの自分は弱さに目を背け、熱心さや根性の意味を履き違えていた。人は絶対に変われる」 平仲ジム2階の4畳半の部屋に住み込み、練習と勉強とアルバイトの日々を過ごしている。毎朝4時半に起床し、約10キロのロードワーク。朝練後は、午前10時から午後6時まで那覇市内の飲食店でバイト。その後は午後10時まで練習し、自炊もする。通信制高校にも通う。

 「やれることは何でもしたい。お世話になった人たちに恩返しをしなければ」。新たなスタートを切り、これまで支えられてきた人たちと握手を交わしながら前を見据えた。

挫折感から自暴自棄に

 仲里健太(21)の名前は、祖母(74)の「健康に育つように」との願いが込められている。両親は離婚し、出産時17歳だった母親と接する機会は少なく、祖父母の手で育てられた。

 「人間は夢を持たんとダメよ」。この言葉が口癖の祖母は、初孫の成長を楽しみにしていた。

 仲里が将来の夢を初めて抱いたのは小学3年の頃。野球を始め、甲子園に出場し、プロ野球選手になることを目標に汗を流した。

 中学に入ると、県内各地から有望な選手が集まるヤングリーグに所属。那覇市の自宅から宜野湾市の練習場まで自転車で通った。

 試合のときは、チームメートの保護者の車に同乗させてもらうこともあった。チームメートの家族は応援に大勢駆け付ける。だが、仲里の身内は誰も来ない。寂しさが募った。試合に出場する機会も少なく、練習にも気持ちが入らなくなり、グラウンドの隅に隠れて、たばこを吸うこともあった。

 「野球に自信はあったが、次第に足が遠ざかった。孤独感と挫折感があった」。中学に入学してからわずか3カ月。夢をあっけなく投げ捨て、目標を失い、自暴自棄になっていた。

 野球を辞めるといら立ちを発散するかのように、夜はオートバイで暴走行為を繰り返すようになった。警察の白バイから逃げるスリルや毎晩集まる仲間たちとの時間が、自分の居場所だと思っていた。睡眠不足で学校への足は遠のき、不登校になった。酒を飲んで、バイクで学校に乗り込んだこともある。

 そんな姿を見守っていたのが、当時、中学の生徒指導を担当していた喜久川洋(50)=現県教育庁義務教育課指導主事=だった。

 「健太に殴りかかられ、張り倒したこともある。親の愛情も知らず、乱れた生活を送っている健太を見て見ぬふりはできなかった」 喜久川は厳しく接した一方で、仲里ら不登校の生徒たちの自宅に毎朝通い、おにぎりを握って学校で食べさせていた。非行を繰り返す生徒を警察署に迎えに行ったこともしばしば。自身も若い頃、家族や他人に迷惑を掛け、裏切ってきた経験があったからだ。

 仲里は当時について「洋先生の熱血指導が理解できず、反発しかなかった。世間から恐れられ、非行で目立つことが名誉だと本気で思っていた」と振り返る。オートバイの窃盗、無免許運転や暴走行為などの道交法違反、たばこの自動販売機や車両の器物損壊を繰り返し、最初に少年院へ入ったのは15歳の春だった。=敬称略(社会部・吉川毅) ◆   ◆ 孤独や貧困、いじめや偏見などさまざな困難にぶつかり、生きづらさを抱える若者たちがいる。悩んだり迷ったり、時にはポジティブに自分自身の道を模索しながら、前に進もうとする一人一人の姿を見つめ、次代を生き抜く糸口を共に見つける。 

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