古代琉球の名残り

ハジチ

ハジチ

皆さんハジチって何だと思います?
それは古代琉球女性のステイタスともいえる、
ファッションに関連する事なんです。
ではズバリ、ハジチとは・・・・刺青です。
女性の手の甲に施した刺青の事なんですね。
縫い針を何本も束ねて手の甲に突き刺し、
そこに墨を流し込んで独特の紋様を描き出してゆくのです。
その紋様には、一つひとつに意味があって、
呪術的な意味合いも多大にありました。
例えば、イカリのマークの海人ハジチは、
「男らしさ、海の男」の象徴。
「天」を意味するアーマン「永遠、深い愛」につながり、
太陽の「ティダ」勝利をもたらすなどです。
縫い針を束ねて突き墨で模様を刻んだハジチは、
幼児期から数回にわたって行われ、17歳ごろ指先部分が仕上がると、
大人の女性とみなされました。
現代から見ると苦痛としか思えないその行為も、
古代琉球女性たちには一つのステイタスだったんでしょうね。
その証拠に明治の初期に禁止令が出たのにもかかわらず、
その後もハジチを施す女性はあとを絶ちませんでした。
ハジチを気味悪く思う異人や異郷の者から身を守るためであり、
さらには幸福を呼び込む呪術的な意味があったからです。
ちなみに祖母に聞いてみると、祖母の母(ひいばあちゃん)、
の両手の甲には立派なハジチが施されていたそうです。
老人ホームに遊びに行ったときなど、よく見かけましたよね。

石巌當

石巌當

魔よけの石のことなんですね。
正確には石に彫られた魔よけの漢字なんです。
石巌當の説は色々あるんだけれども、どれも今ひとつ確証性に欠けるのです。
その中で、現在最も有力視されているのが豪傑(ごうけつ)説なんです。
古代中国の歴史の中においては数多くの英雄や豪傑が輩出されていますよね。
水滸伝然り、三国志しかりです。
いつの時代なのかはハッキリとは分かりませんが、
中国史の文献において、石巌當という名前の人物が実在していたらしいんです。
日本で言ったら地方の豪族の頭領といったところでしょうか。
そしてこの石巌當なる人物はかなりの豪傑だったらしいんです。
そこで古代琉球の人々はその名前にあやかって石に石巌當という文字を彫り込んで、
三叉路などの道の突き当たりにその石を立て掛けたんです。

では何故、石巌當は必ず道の突き当たりに設置されたのか?
不思議だと思いませんか?
それは、マジムン(魔物、災い)まっすぐにしか歩けない、進めない。
と、信じられてきたからなのです。
ですからひと昔前の沖縄では、一本道の突き当たりの家や、
三叉路の真ん中にある家、道には必ず石巌當がありました。
現在では鉄筋コンクリートの建物が急増してあまり見かけなくなり、ちょっと寂しい気もします。

シーサー

シーサー

シーサーも狛犬もスフィンクスも、古代オリエントのライオンが起源
中国から伝わり、シーサーは沖縄方言の呼び名。漢字で書くと「獅子」
八重山諸島ではシーシーともいう。
狛犬朝鮮半島から伝わったもので、
正確には左と右の一対で「獅子狛犬」と呼ぶ。
シーサーは沖縄県などでみられる伝説の獣の像。建物の門や屋根、
村落の高台などに据え付けられ、
家や人、村に災いをもたらす悪霊を追い払う魔除けの意味を持つ。

元々は単体で設置されていたものだが、
おそらくは本土の狛犬の様式の影響を受けて、
阿吽像一対で置かれることが多くなった。
阿吽の違いにより雌雄の別があり、
各々役割があるとする説もあるが、研究文献等にそのような記述は見られず、
近年になって創作された俗説である可能性が強い。
口の開いたシーサーが雌で、右側に置き、福を招き入れ、
口を閉じたシーサーが雄で、左側に置き、あらゆる災難を家に入れないとされている。

各戸の屋根の上に置かれるようになったのは、
庶民に瓦葺きが許されるようになった明治以降である。
それまでは、御獄(うたき)、寺社や城の
貴族の墓陵、村落の出入り口等に設置されるのみだった。


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2012/10/16 16:20:26

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