小浜司が鶏焼き奄美を紹介


奄美入り口
奄美入り口

奄美
 「あま見くま味」第2回目は、しゃれじゃないけど、「奄美=あまみ」の炭火焼の鶏焼きを紹介したい。 那覇市国際通りにあるのですが、隠れ家的で実にいいところだ。 国際通りというと最近では、沖映通りから南の方に人々の足は集中して、かろうじて三越の前のまではその波は続くが、モノレール牧志駅の十字路から安里方面となるとどんどん人の数が少なくなってくる。

50メートル程歩いて右へと路地(スージ道)を折れると「奄美」の看板が見える。
その先は広場(駐車場)となっていて、夜ともなると、国際通りにあって、なんともいえない隠れ家的な様相を呈するのが、昔と変わらない雰囲気を醸し出している。

 「奄美」が今の場所へ移ってきたのは2005年の12月。長い間桜坂の一角にその店は在った。 国際通りからグランド・オリオン通りを真っ直ぐ進み、突き当たりを左の方へ足を進めるとほんの小さい看板が見えたものだった。 私が初めてその店へ足を運んだのはもう20数年前のことだと記憶している。

友人に沖縄で一番美味しいチキンの店に連れてってやる、と言われ、連れて行かれたのが「奄美」であった。 先代のおばあさんが一人でゆっくりゆっくりと炭火で焼き上げる、その塩味はまさに沖縄で一番美味しいチキンであった。
一通り食べ終えて、頃合を見計らって出てくるスープ(鶏の首が二三個)、これがまた美味い。それからは桜坂でたらふく酒を飲んで、少し小腹がすいたときなどは顔を出していた。 それから私はヤマトへ行き、沖縄に帰ってからもなかなか桜坂には行く機会もなく遠ざかっていた。

 2002年に私もなぜか国際通りに「島唄カフェ・まるみかなー」という店を出すことになり、近くなった桜坂へは必然的に足が向かった。
久しぶりの「奄美」、やはり美味かった。それから友人の女の子たちを連れて、ちょくちょく通った。 2005年夏、私は店を閉めることになった。

その頃「奄美」の店のある建物の2階が火事になり、店が閉じられた。店が移ったと聞いた。 40年ぶりの移転だという。最初は栄町で営っていて、桜坂へ移り、根を張り、人気も定着した。 奄美というから、先代は奄美出身である。

戦後、沖縄での奄美出身者の苦労というのは、それは大変なものがあった、といえる。
ここではテーマが違うので、話を進めよう。
私の方も店の移転で忙しくてなかなか場所さえも捜せなかった。
つい最近のこと、たまたま国際通りを安里向けに歩いていると、「奄美」の看板が目に入った。嬉しかった。

鶏焼き
鶏焼き
鶏焼きアップ
鶏焼きアップ
炭火焼かまど
炭火焼かまど

▼プロフィール
小浜 司(こはま つかさ)
沖縄県国頭郡本部町出身。幼少期を那覇市で過ごし、中学以降宜野湾市に遊ぶ。
大学卒業後ヤマトへ。季節工などの底辺労働に従事しながら、アメリカ、東南アジア、中国、アラブの国々を旅する。
沖縄に帰り、クリーニング屋の経営をしながら嘉手苅林昌や大城美佐子のリサイタルなどをプロデュース。
「風狂歌人」(嘉手苅林昌)や「絹糸声」(大城美佐子)など沖縄音楽CDを多数製作。2002年、国際通りに島唄カフェまるみかなーを開く。
2004年沖縄音楽デジタル販売協同組合に参画しインターネット三線教室を始める。
2006年、拠点を壺宮通り(那覇市寄宮)移し、島唄カフェいーやーぐゎーを開店。
沖縄音楽の音源や映像の楽しめる店として好評を博している。
琉球新報コラム「南風」などを執筆。

▼関連サイト
沖縄インターネット三線教室芸能日記

あまみくまみ

「あま見くま味」とは沖縄の方言であっちみたりこっちみたりという意味です。沖縄の島唄管理人、カフェまるみかなーのマスター、現在はカフェ「いーやーぐゎー」のマスター小浜司による沖縄県の隠れ家スポットや名店を紹介します。

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