
沖縄シーサー入り口

石川陽子さん
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サーターアンダギー屋「シーサー」
サーターアンダギーを美味しくつくるのは結構難しい。
我々が小さい頃はおやつといえばサーターアンダギーとアンダカシー(油粕)であった。
学校から戻ると、かばんを投げ捨て、さっそくサギジョーキー(天井から下げられているかご)へ手を伸ばすのである。
思いっきり手を伸ばしてやっと届くのであるが、めくらめっぽうでなるべく大きいのを探る。
オバー(婆さん)のつくるサーターアンダギーはデカかった。いや、あのころだからデカく感じたのか。
手に余るほどのサーターアンダギーをゲットすると家を飛び出し、友達の家に向かいながら頬張るのだ。
私の育った本部町ではサーターアンダギーのことをサーターティンプラーと称していた。
言うまでもないが、サーターは砂糖のことで、ティンプラーはてんぷらのこと。
本部の私の家は山の中腹にある一軒家で、お店に行くにも友達の家に行くにも今にもハブが出そうな草道を通らねばならなかった。
アンダギーを食べながらだと余所見もせず、何も考えることもなくあっという間であった。
先ず、サーターティンプラーの皮の部分というか、油の衣の部分を丹念に食べる。
それから白い甘い小麦粉の固まりを味わって食べる。食べ終わる頃に目指す友達の家にたどり着いたものだった。
さてさて、二年ほど前まで営っていた、前の店「まるみかなー」で人気のお土産として販売していたサーターアンダギーこそ今回紹介したい「シーサー」のアンダギーだ。
とある暑い夏の日のこと。開南から神里原へ向かって大平通りの向かいの農連入り口に足を進めると、左側にポツっと黄色い暖簾が下がり、遠慮がちに「シーサー」文字のあるガラス戸を開ける。
アンダギーを揚げ終わった美人の店主・石川陽子が三線を練習していた。そう彼女は民謡歌手でもある。大御所・大城志津子の弟子であり、人気歌手・金城恵子の付き人兼伴奏者として多くの舞台を若くして踏んでいる。
幼い頃、大阪に育った彼女の周りには「ウチナー」があふれていた。
大阪は豊中市に沖縄料理「シーサー」という店を彼女のおばあさん(石川栄子)が始めたのは三十年以上も前のこと。
当時は沖縄料理店などほとんどなく、ウチナースバ(沖縄ソバ)やヒージャー(山羊)を食べに大阪中のウチナーンチュが訪れたという。
そうなるとそこには歌があり、三線がありということになる。
高校生の頃から店の手伝いをしていた孫の陽子が三線を手にするようになったのはごく自然の成り行きといえた。
話をサーターアンダギーに戻すと、沖縄料理「シーサー」のサーターアンダギーは評判に評判を呼び、
本土での沖縄物産展での常連となった。
石川陽子が三線の勉強で沖縄へ来て「シーサー」の沖縄営業所を開いた。
歌もサーターアンダギーもおばあちゃんから習った。
まだまだおばあちゃんの域には達していないけど、できるだけ近づけたい。
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